特殊能力(2)

鉄壁

「敵の攻撃を一定の割合で防御しまする。
軍神とは対になる能力といえまするが、軍神よりは弱い能力なので、対処することはできまする。
しかし、武田信玄、毛利元就など、ただでさえ能力の高い名将が持っているので、強力なことは違いありませぬ」
「多くの兵で攻撃して、士気を下げることで安全に撃破できるな。本陣や砦で攻撃することができればなお良い。
2、3部隊であっても、はさみうちにすることができれば、鉄壁といえども耐え切れまいて」

軍神

「一定範囲内にいる敵部隊の士気を下げ、自身の攻撃力を上げまする。
もっとも強力な特殊能力であり、相手にした場合にはまともに戦ってはいけませぬ。
強力な攻撃で兵を減らされ、士気がゼロになって潰走状態になること必至です」
「軍神の士気を下げる効果は、味方の本陣や砦に入ったときの回復力とほぼ互角。
おびき寄せることができる場合には、回復しながら戦うのがもっとも勝ち目があるな」
「野戦においては、軍勢を分けて、別働隊で本陣や総大将を先に落としましょうぞ。
また、城攻めになった場合には、城下の武家町などを破壊し、敵の兵力を根こそぎ奪うことが必勝の戦術でありまする」

「私は軍神と戦ったことはないが、武名を聞くあたり、さぞ強いのであろうな」
「強いなどというどころではありませぬ。軍神がひとりいるだけで、いくつもの部隊を撃破することができましょうぞ」
「ふうむ、私とかかわりのある軍神といえば長尾景虎(上杉謙信)殿であるが、かの者とは正面きって戦わなかったからのう。
我々は畿内を本拠地としておりますからな。上杉と相対することとなったとしても、そのころには大勢力となっておりまするゆえ。
そもそも、軍神はゲーム中で三人しかおりませぬ」
「上杉謙信殿、立花道雪殿、真田雪村殿であるな」

上杉謙信(長尾景虎)

「さっそくながら、戦国最強の猛将・上杉謙信殿でございます」
「三人の中でももっとも手ごわいのは、彼自身が大名であるからだな。戦国の群雄でありながら負け知らずの武勇。
豊かな春日山城を根拠地としているため、騎馬隊をひきいるとあっては手がつけられぬ」
「基本的にはかなりの大勢力になるまでは、上杉に攻め込むのはやめたほうがよいでしょう。
攻城戦にさえ持ち込めばなんとかなりまするが……、上杉の騎馬隊を相手に野戦を勝ち抜くのはなかなか」

「他の武将も統率90台などという大名家はここぐらいなものだな。鬼小島と柿崎殿……」
「知略が低いとはいえ、砦を落とさねば『混乱』も『挑発』も使えませぬゆえ、根本的な解決になりませぬ。
やはり、正面きって戦うのは、勢力をつけてのち、春日山城に遠い城から攻めましょうぞ」

立花道雪(戸次鑑連)

「九州の猛将・立花道雪殿といえば、雷切で有名でございますな」
「雷にうたれ、半身不随の身体となりながらも北九州を中心に活躍した武将よ。その武勇は遠く甲信にまで届いたと」
「奥州や九州の事情はなかなか届かなかった時分でございますからな。
後世では、ほかの軍神である上杉殿や真田殿に比べて知名度は低うございますが、大友家の隆盛を支えた名将にございまする」
「中国地方を制し、九州にまで勢力を伸ばした毛利家に対抗し、龍造寺家との抗争も制したという武功を誇ると」

「とはいえ、立花殿は大名格ではございませぬし、槍隊を率いることに長けていることが対策のしようがあるというものです。
槍衾の三段階目であるものの、機動力で対処することができるのが救いどころですな。
騎馬隊でかきまわしたり、別働隊で他の砦を落としてしまうのがいいでしょう」

真田幸村

「日本一の兵こと真田幸村殿だな」
「真田昌幸殿の御次男にございます。1580年代以降では日の本最強の武将といってよい立場にございますな」
「真田殿はいずれも名将ぞろいだが、ゲーム中では小大名ゆえ、ひどく脅威になることは少なかろう。
幸村殿が得意とするのも騎馬隊でござるが、この対策も上杉謙信殿と同じといえよう」

「軍神とたたえられるこの三方に共通するのは、その後の代にも栄えたことでござろうかな」
「上杉謙信殿は実子こそいないものの、上杉景勝殿は五大老。関ヶ原で敗れたものの、取り潰されることもなく米沢藩主に。
立花道雪殿は、娘婿におなじく大友家中の猛将・高橋紹運殿の子を迎えてございまする。
これが立花宗茂殿で、こちらも軍神と呼ばれてもおかしくないほどの名将にございまするな」
「西国一の大将といわれ、その才能から秀吉殿に大名に取り立てられておるな。
義理堅く、関ヶ原では西軍に属して改易されたが、その後、ふたたび北九州の大名に取り立てられておられる」
「家康殿が幕府を開いてから、多くの大名家が取り潰されたなか、特別に11万石を与えられて復帰したほど、その実力は知られております。
ゲーム中では父君よりも劣る評価をされておりまするが、ここまで徳川に認められた武将はそうはいませぬ」

「真田幸村殿は、子の真田大助殿とともに、関ヶ原の合戦、大坂の陣で活躍しておられましたが、
その父・真田昌幸殿は徳川秀忠ひきいる軍勢2万を足止めするなど、小勢ながら真田領を守り抜いたことが知られまする」
「そして幸村殿の兄・真田信之殿もおられるな」
「……真田幸隆殿、真田昌幸殿、真田幸村殿と、華々しい活躍でしられる真田一族でございまするが、
その領地と子孫を続かせたのが、真田信之殿にござりまする。
父と弟が徳川家康殿にたてついたぶん、信之殿は家康殿に対する忠節と失敗を出さない藩政で、松代13万石を守り抜いてございました。
豊臣秀吉殿、徳川家康殿、秀忠、家光、家綱……世が変わり、代が変わりながらも、齢93まで真田家を支えた大名にございまする。
伊達政宗殿、立花宗茂殿と同世代で、晩年は天下の最長老でござった」
「いささか弟君の評価がついてまわるので、ここでは信之殿の補足をさせていただいた。これも戦国の生き方よの」
「父や祖父の生き方を、もっとも受け継いでおられるやもしれませぬ」